1946年に第1回大会が行われた「全米女子オープン」は、今年で76回目を迎える。ここまでに多くの日本勢が“世界No.1”の称号を目指し挑んできた。その歴史を振り返る。
日本選手が初めてこの舞台を踏んだのは、マスコギーカントリークラブで行われた1970年のこと。樋口久子と佐々木マサ子が出場し、ともに予選落ちを喫したところから歴史はスタートする。さらにこの翌年には樋口が予選通過(29位)を果たし、日本選手として初めて決勝ラウンドを戦うこととなった。
そこからも出場を続けた日本勢だったが、なかなか上位争いには食い込めない期間が続く。そんななか83年大会で岡本綾子が8位となり、初のトップ10入りを果たした。そして、その岡本が最も優勝に近づいたのは、ニュージャージー州のプレーンフィールドCCで開催された87年大会だった。
第3ラウンドを終えトップに立った岡本だったが、豪雨による順延続きで月曜日決戦となった最終ラウンドに「72」と伸ばすことができず。優勝争いはローラ・デービース(イングランド)、ジョアン・カーナー(米国)との三つ巴のプレーオフまでもつれこんだ。最終的に火曜日に行われたこの延長戦を制したのはデービース。岡本がメジャー制覇にあと一歩届かなかったこの試合は、今も語り草となっている。
だがここから、小林浩美が4位、岡本綾子が7位に入った93年大会など、日本勢が奮闘する大会も徐々に増えていった。それでもなかなか優勝争いには絡めず、再び日本にメジャータイトルが近づいたのは2011年のことだった。第2ラウンドを終え宮里美香が1位、宮里藍が2位につけた大会だ。
荒天による順延で、この年の決勝ラウンドは36ホール組み替えなしで実施。全選手が最終ラウンドを終えたのは月曜日だった。まさに“死闘”を繰り広げたが、結果的に美香は5位、藍は6位という結果に。最後はユ・ソヨン(韓国)にタイトルをさらわれた。ちなみに美香は翌年大会でも7位に入る活躍をみせている。
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