都内では少し前までの厳しい残暑がうそのようで、特に朝や夕刻には肌寒くなる日も多くなりました。この時期になると時折、街中で漂ってくるのがキンモクセイの花の甘く心地よい香りです。読売新聞の投書欄「気流」にも、キンモクセイの香りから大切な記憶や人に思いをはせる投書が多く寄せられてきました。記者の心に刺さった「ササる投書」、今回は「キンモクセイ」に関連する投書を紹介します。(※投稿者の年齢や職業などは掲載当時。紙面では実名で掲載)
私の一日は、朝のウォーキングから始まる。団地の通りを速足で歩いていると、甘く芳しいキンモクセイの香りが漂ってきた。その匂いに、私が小学校教諭をしていた6年前のことが鮮明に思い出された。
2年生を担任し、校外学習に出掛けた時だった。ある男児が「先生、トイレの香水の匂いがするよ」と叫んだ。近くを見回すと、ある家の庭先でキンモクセイの黄色い花が満開だった。男児に花の説明をし、手に取って匂いを嗅がせると、「甘くて、いい匂いだね」とうれしそうだった。
その彼も今では中学2年生になる。きっと、「違いの分かる」少年に成長していることだろう。キンモクセイの季節が来る度に彼のことが思い出される。(57歳・主婦=広島県、2012年11月5日掲載)
「
紛れもなく夫の筆跡である。無口な夫が俳句に託した心中に涙が止めどもなくあふれ出た。そして、5年近くの看病で疲れ気味だった私に勇気を与えてくれた。この句があったからこそ、自らを励まし、その後も数年間、看病を続けることができた。私の何よりの宝物だ。
家の窓を開け、身を乗り出すようにして、大好きなキンモクセイの香りを満喫していた夫の姿が今もまぶたに焼き付いている。(90歳・主婦=奈良県、2008年12月4日掲載)
秋になり、キンモクセイの香りが漂ってくると、亡き父を思い出します。長患いの末に亡くなった父は庭いじりが趣味でした。
仕事が休みの日は、よく庭に出て、木や花の手入れをしていました。マキやモクレン、ジンチョウゲなど、色々な木を植えていましたが、キンモクセイもその一つでした。
キンモクセイの香りがすると、父がそばにいるようで、振り返ってしまうことがあります。気のせいだと思いますが、父のにおいを感じることもあります。「お父さんが会いに来てくれているのかな」と思います。
父は、私が結婚する半年前に亡くなりました。墓前で、孫である2人の娘について報告するのが、唯一の親孝行です。遠くから私たちを見守っていてくれると信じています。(50歳・学童保育指導員=神奈川県、2013年10月24日掲載)
キンモクセイの香りがすると、三年前のことを思い出す。夫が入院した病院へ毎朝、自転車を走らせていた時、この香りがしていたからだ。一か月の入院で、夫は天国へと旅立った。
一か月ほどは様々な整理に追われたが、それが終わると、最愛の人を失った悲しみと、残された小学校一年の息子と二人で、生活していくことへの不安が私を襲ってきた。そんなとき、心の中でつぶやいていたのが、「投げやりにならず、日にち薬」という言葉。
毎日、規則正しく生活し、決して運命をうらまなかった。あのころ、共に泣いてくれたり、相談にのってくれたりした人々を今、ありがたく思う。これからも母子家庭と呼ばれる私たちに色々な波が押し寄せるだろう。けれども決して投げやりにはならない。
今、悲しみの中にいる人たちに言いたい。どんな小さな喜びでもいいから見つけて、毎日を前向きに生きてほしい。それが将来の幸せにつながると、私は信じている。(39歳・主婦=大阪府、2003年10月13日掲載)
キンモクセイの香りは、落ち着くもどこか哀愁を感じ、時に思い出が呼び起こされるという方もいるのではないでしょうか。私はなぜか、外で遊んでいる際に行政無線のチャイムで「ムーンリバー」が流れ、日が短くなるのを残念がった少年時代の記憶がよみがえります。香りの中を横切りながら、誰かが誰かを思う人の優しさを感じるのも秋の趣かもしれません。(原)
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