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Thursday, November 25, 2021

君は「南海」を「何回」聴いたか?~~上方講談への誘い - 読売新聞

 「よみらくご」総合アドバイザー、演芸評論家の長井好弘さんが、演芸愛いっぱいのコラムをお届けします。

 僕は今年、 (きょく)(どう)(なん)(かい) の上方講談を19席聴いた。関西ではなく、すべて東京での公演である。「どうだ」と胸を張るほどの数字ではないが、地元大阪は別にして、東京の演芸関係者、客席の講談好きと比べても、かなり「聴いている」方ではないかと思っている。

 旭堂南海は、「知る人ぞ知る」上方講談の実力者だ。

 愉快、痛快、明快な読み口で、上方講談の“華”である「難波戦記」「太閤記」等の大長編を連続で聞かせてくれる。高座姿も印象的で、「時代劇も現代物もこなす東映映画の悪役」を思わせる面構えで、にやりと不敵に笑う風情がたまらない。

 これほどの逸材が「知る人ぞ知る」という状況に甘んじているのには、理由がある。それは、南海本人のせいではなく、上方講談自体が、関西在住者にとってさえ、身近な存在ではないという現状があるからだ。

 「そもそも上方講談は」と書き出してしまうと話が長くなるので、いろいろあった明治、大正、昭和初期は割愛することを許してほしい。

 上方講談は戦後、ほとんどの流派が途絶えてしまい、二代目旭堂 (なん)(りょう) と実子の小南陵(のちの三代目南陵)の親子二人だけが残された。文字通りの「絶滅の危機」に瀕したのである。

 それから70数年たった現在、三代目南陵一門の奮闘もあって、上方講談師の数は40人前後にまで盛り返している。ただ残念なのは、まだまだ多いとは言えない講談師が、上方講談協会、大阪講談協会、なみはや講談協会(順不同)という三つの協会と、フリーの講談師を合わせて、四派に分かれて活動していることだ。これでは、「上方講談ここにあり」というアピールが、なかなか観客にまで届かない。南海が「知る人ぞ知る」なのもむべなるかな、なのである。

 それでも、上方講談は面白い。太閤秀吉も、水戸の黄門様もコテコテの関西弁を話すというおおらかさ。武張ったネタ、重いテーマの読み物が多い東京講談に比べ、笑いあり涙あり、肩肘張らず、本音で生きる人々が見事に活写されている。

 そんなおもしろ講談のエッセンスを抱えて、南海が東京へ来てくれるのは本当にありがたい。たまに大阪方面に行っても、都合よく上方講談の会に遭遇する可能性は限りなく少ない。来てくれなければ、何もわからないのだ。

 2021年11月20日、神保町のらくごカフェで、昼夜、南海を聴くことになった。別々に予約しており、同じ日、同じ会場での昼夜の公演と気づいたのはほんの数日前のこと。土曜の夜は、「南海漬け」になった。

 昼の部は「南海の連続講談 天下茶屋の敵討を聴く会(二)」だ。

 江戸時代の代表的な仇討で、「 (かたき)(うち)(てん)()(ぢゃ)()(むら) 」という外題で歌舞伎化もされているが、実際に仇討があったかどうかは、かなり怪しいとされる。こういう「歴史上の事件だが、その実態は曖昧」という物語が、講談師の格好の題材となる。実在の場所と年号さえ決めれば、あとは登場人物を自由に動かしても文句を言われないからだ。

 南海もそのへんは心得たもので、第一回で仇討の背景となる戦国大名・宇喜多秀家と徳川家康の微妙な関係などをたっぷりと描き、物語に「真実味」を加えた後、今回、満を持して仇討の本筋に入った。

 「いやもう、仇討に入ってしまえば短いんですよ。次回で終わりですから。悲惨で暗くて、救いようのない話です」

 その通り、京、大坂しらみ潰しに、敵・当麻三郎右衛門を探す林兄弟に次々と不運や災難が襲いかかる。兄の重次郎が病に倒れ、兄弟の手足となるはずの中間・元右衛門が酒と博奕に溺れた挙げ句、もうひとりの中間仲間を殺し、兄弟のあり金を全部持って逐電してしまう。

 前席が1時間、後席が30分の大長講。ついには重次郎が敵の手で惨殺され、弟・源三郎が「もはやこれまで」と絶望する――。こんな悲惨な話なのに、悲劇の主人公・林兄弟よりも、敵役の当麻と元右衛門のほうが生き生きとしている。それだけ南海の「明るい悪党顔(失礼!)」が印象に残るのだ。

 夜は、人間国宝・神田松鯉との二人会だ。

 得意の「水戸黄門記・ (がん)()() 由来」と「赤穂義士銘々伝・赤垣源蔵徳利の別れ」を気持ち良さげに読んだ松鯉に負けじと、南海も上方色の濃い読み物を披露した。

 「関ヶ原軍記・大谷 刑部(ぎょうぶ) の最期」では、現地・関ヶ原でのフィールドワークや、参考にする古い講談速記の分析などの裏話も披露した。二席目の「藪井玄意」でも、名医といわれる藪井のさまざまな伝説を考察する。一席の講談を仕上げるために、「裏を取る」作業を怠らない。「講談師見てきたような嘘をつき」ではなく、「講談師見てきたうえで嘘をつき」なのだと、古い講談師が言うとおりである。

 南海は学生時代、講談より「バナナの叩き売り」が好きだった。そんな衝撃的な告白を聴いたのは、10月10日、「奈々福の、惚れるひと。悪党列伝」(池袋・あうるすぽっと) (注1) の高座でのことだった。

 「私が講談を知ったのは、小沢昭一さんの著書「日本の放浪芸」から。でもそのときはバナナの (たた) き売りのほうに興味を持って、北九州で開かれた、叩き売りの口上のコンテストで上位入賞したぐらい。あちらの家元さんにも教えを請うて、ついには『本気でやるなら、わしの後継者に』とまで言われたんだが、そこで、うーんと考えて・・・」

 この時読んだ「浪花五人男」の途中でも、南海は江戸の初期から幕末までの元号を鮮やかに言い立て、喝采を浴びた。華麗な読み口のルーツがバナナの叩き売りだというのが、何とも愉快だ。

 さらに、放浪芸とも関わりがあるのか、今年正月の天満天神繁昌亭で、絣の着物に袴と高下駄、バイオリンを抱えた南海が、「書生節」を歌うのを見た。

 南海は、ミュージシャンの宮村群時、落語家の桂文五郎らと「上方書生節協会」を設立し、「書生演歌師」としても活動しているのだという (注2) 。そういえば以前、らくごカフェの「連続講談の会」で、普段は自分のCDの宣伝などしない南海が「書生節のCDを作ったから、ぜひとも買ってください」と本気でお願いしていたのを思い出した。

 今回のタイトルは、ご覧の通り、「南海」と「何回」を掛けただけの単なるダジャレである。元ネタは、南海自身が長く続けている「南海の何回続く会?」だ。名前はアレだが、中身は上方の連続講談を後世に伝えるべく地道に読み進めるという、志の高い会であることを付記しておく。

 「南海を何回聴いた」と語り合える同志を、もっともっと増やしたい。

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