自分のための香りに出合う
香りはインディビジュアリティーに彩りを与え、ときに一人ひとりの個性をも照らす。それぞれのスタイルに彩りを添えるフレグランスとその選び方は、時代とともに変化してきた。「昨今は、自分のために選びたいと考える人が増えました」と、フレグランススクール「サンキエムソンス ジャポン」の代表を務める小泉祐貴子さんは話す。「もちろん、なりたい女性像や人に見せたい印象を大事にする選び方もなくなったのではなく、それに加え自分のためにつける意識で選ぶ人が増えてきたのは新たなムードと言えるでしょう。これらの潮流は香りのマーケットにも大きく影響していると考えます」
パンデミックの数年を挟んだことで、少なからず影響を受けたトレンド。「事ここに至っては、人への印象を考えた外向き視点のセレクトが戻ってきているムードもあります。それでも、一度生まれた“自分のために”というマインドは、トレンドの太い柱として今後も残るだろうと思います」。そのうえで、「自分を喜ばせる香りがどういうものであるか、また香りの世界をより深く知るには香りを言語化できるスキルが有効です」と小泉さんは続ける。
香りの世界をより深く知るための基本スキル
香りは、纏う人の魅力となり得る、自己表現の一つ。だからこそ、香りを感じるだけでなく考える基本スキルを身につけておけば、より知的に楽しめる。「香りの作り手である調香師がフレグランスのコンポジション(構成)をデザインするとき、『香りのファセット』をどう形成するかを考えます」。ファセットとは、多面体の一つひとつの面を意味する言葉。その言葉通り、香りにはさまざまな側面がある。「サンキエムソンス ジャポン」では、ファセットを18種に分類し、そのうち7つをファミリーと呼ぶ。
「フレグランスの骨格となるのが、“ファミリー”です。例えば、シトラス、アロマティック、フローラルといった言葉を耳にしたことのある人もいるでしょう。ファセットのうち何をファミリーとするのかは世界をリードする香料会社でもそれぞれに考え方は異なり、現時点では決められた厳密なルールがありませんが、概ね7、8つを指します。何をファミリーとするかが違っても、18のファセットが理解できれば、どんな香りも言葉で表現し、コミュニケーションできるようになります」。ファセットには、フルーティやフローラルなど原料のままをイメージさせるものもあれば、アンバリーやシプレーのように特定の香料のブレンドを表すものも含まれる。
香調を表すファミリーや代表的なファセット
- シトラス、フルーティ
シトラスはベルガモット、オレンジ、グレープフルーツなど柑橘類。フルーティはアップル、ペアー、カシス、フィグなど果実の香り。爽やかさ、果実み、親しみやすさが魅力。 - アロマティック、フゼア
アロマティックはラベンダー、ミント、ティーなどのハーブ。フゼアはラベンダー、ゼラニウム、ベチバー、オークモス、クマリンが作り出すアコードで、マスキュリンな力強さや清涼感を持つ。 - フローラル
ローズ、ジャスミン、オレンジフラワー、ミュゲ、イランイラン、チュベローズ、スズランなど。花の命の輝きを身に纏うかのような華やかな気持ちに。 - グルマン
キャンディやケーキ、キャラメルなど美味しそうなお菓子を思わせるノート。うっとりするような甘く柔らかい香りは子ども心をくすぐり、幸福感をもたらしてくれる。 - オリエンタル
パチョリ、スパイス、アンバーリーノート(バニラ、ラブダナム、ベンゾイン)などのブレンド。深みがあり力強く、落ち着いたイメージ。 - ウッディ、レザー
ウッディはサンダルウッド、シダーウッド、パチョリ、ベチバー、オークモスなど。レザーはラブダナム、バーチ、タバコなど。古くは男性用香水に用いられてきた。 - シプレー
ベルガモット、ローズ、ジャスミン、オークモス、パチョリ、ラブダナムなどのブレンド。洗練された華やかさを持つアコード。クラシックなタイプとモダンなタイプがある。
18のうち最も重要な7つのファセットはこれらの通り。それぞれのファセットについて理解できると香りはより身近なものとなり、香りの世界に新たな視点が広がって行く。主だった7つのファセットについては次回以降ひとつずつ紹介するが、ここからはフレグランスの世界のトレンドについて、小泉さんに教えていただく。
自然回帰と自己肯定が香りのトレンドに
近年、自然との距離を縮めるフレグランスが相次いで発表された。天然香料の希少性を打ち出したもの、精油だけで構成したもの、アップサイクルされた原料を主役に据えるものなど、その個性はさまざまだ。昨今のトレンドにはサステナブルやナチュラルなどの自然志向ともとれるものや、自身が多幸感を感じられる香水を選ぶ傾向があり、小泉さんの「ウッディとフローラルのノート=香調はトレンドの一つ」と言う見解に繋がっているように思える。「環境に対する責任と、自らのアイデンティティーの肯定がトレンドのひとつ。これらはブランドメッセージからも受け取れます」
今のトレンドをリードするのは、どのような香りなのか。「従来よりデパートで扱われてきたのは、化粧品ブランドやファッションブランドが展開する香水。これを“セレクティブマーケット”ブランドと言いますが、少し前まではこういったブランドが売り場の大半を占め、マーケットの主流でした」。この流れが、大きく変わろうとしている。
近年、ディプティック(DIPTYQUE)やジョー マローン ロンドン(JO MALONE LONDON)などの香水に特化したブランドを指す“コンフィデンシャルパフューマリー”が勢力を増し、新しいブランドも数多く誕生。ニッチマーケットは世界的に伸長した。「いわゆるコロナ禍には、一時的ではありましたが、全マーケットの半分を占めるほどにまで成長したほど。これはとても大きなトピックで、フレグランス市場の構造がガラリと変わったことを示していると考えます」
“コンフィデンシャルパフューマリー”ブランドが展開する香りは、個性的なものを創出することでブランドの特徴を生んでいる。「個性を色濃く出すために生まれたブランドとも言え、デパートで展開されてきたブランドとは立ち位置から異なります。個を重要視するムードの高まりが、“コンフィデンシャルパフューマリー”の伸長を後押し。この潮流は、海外だけではなく日本においても同様に顕著で、“コンフィデンシャルブランド”だけをセレクトするノーズショップ(NOSE SHOP) の登場が象徴的」と、注目度の高さを小泉さんはこう続ける。
歴史的ヒット作品を世に多く生み出してきた“セレクティブマーケット”ブランド、そして主張と個性を強く打ち出す“コンフィデンシャルパフューマリー”ブランドの二者が影響し合って、現在のトレンドが形成されていると言得るだろう。変革期とすら感じる今、楽しみ方や香りの可能性、そして選び方はますます増え、更なる多様化した未来を想像する。ウッディとフローラルの人気が裏付ける、自然回帰の流れはどこまで続くのか。そして、新たな時代を育むのは何か。
香りの多様性はなぜ生まれ、育まれたのか
「20世紀、シャネル(CHANEL)やディオール(DIOR)などのビッグメゾンが大きく成長し続け、さらに1980〜90年代あたりにセレブリティープロデュースのブランドが次々と生まれ、香りを本業としないブランドによるマーケットが広がりました。同時に、構造変化も起こり、パフューマーの名前を前面に出し、クリエイターの個性にフォーカスするようなブランドが出始めたのです」
新しいマーケットが広がりを見せ始めた頃、面白いもの、ほかにはない香りを求める潮流も生まれた。「この背景には、クリエイティビティなものに触れたいと願う感情があると考えます。それは作り手にも消費者にも。最新の2023年上半期のトレンドにも、この流れは続いていると見ています」
基本的には、定着しつつあるノンジェンダーのフレグランスの流行を牽引するのが“コンフィデンシャルパフューマリー”ブランドだ。「強い影響力を持つ中で、ウッディは特に人気です。次いでフローラル。フレッシュなものからリッチでヘビーなものまで好みに合わせて選ぶ人が増えており、誰もが楽しめる香りという意味でもこの2つのファミリー(香調)が人気を集めています。ひと昔前なら、ウッディは男性もの、フローラルは女性ものと位置付けられていましたが、現在はまったく違います。コンフィデンシャルブランドが勢いを増してきたのは2000年以降くらいから。徐々にその傾向が見られていました」
トレンドが示す価値観の変化は、もとは男性の香りに使われるものだったウッディをジェンダーレスなものにも、という考えをももたらした。「香りの作り方もマスキュリンで重厚感のあるウッディとは異なり、爽やかで明るさのあるものが登場するようになりました。ウッディを女性らしくフルーティにアレンジしたものもあります」
時代によって作られるトレンドを占う、香水の未来
「この一年は、ハーモニーや調和、自然らしさがキーワードに挙げられ、今後もしばらくは続くでしょう。一方で、フレッシュさを感じさせながらもメタリックで都会的なイメージを持つ香りも目にするようになりました」。この背景に、人々の価値観の変化があると言い、「パンデミックの収束とともに、自然、安心、安全などに傾倒してきたところから変わり始め、大きな一歩を進み始めたから。温かみのある心地よい香りのトレンドも続く一方で、スパイスやレザーをアクセントにスッキリと軽やかに仕上げられた香りも目にするようになってきました」と説明。
さらに、すれ違ったときに後を引くパワフルな香りも増えているそう。「これは昨年からグローバルにみられるひとつのトレンドです。レザーやウード(沈香)にフルーティやパウダリーノートが加わり、香りのトレイルがしっかりと残るような個性的でパワフルな香水の登場が目立っていました」。相反する2つの潮流があるからこそ反発し合いながら進化する香りは、ますます魅力的で面白くなるだろう。
話を聞いたのは……
小泉祐貴子
香りデザイナー。京都芸術大学 非常勤講師および東京農業大学 非常勤講師。慶應義塾大学理工学部に学んだ後、資生堂、香料会社フィルメニッヒを経て、2014年にセントスケープ・デザインスタジオを設立。香りに関する専門的な知識やスキルをベースにコンサルティング、香り環境デザイン、香水のプロデュースなどを幅広く手掛ける。2021年にパリを拠点とするフレグランススクール唯一の日本公式パートナーとして「サンキエムソンス ジャポン」を創立。香りの仕事に携わる人の育成にも尽力する。近著に『英国王立園芸協会 香り植物図鑑』(Stephen Lacey著 小泉祐貴子訳/柊風舎 刊)。
https://www.cinquiemesens.jp
Monochrome Photo: Hiroki Watanabe(TRON) Text: Akira Watanabe Editor: Rieko Kosai
からの記事と詳細 ( プロが教える、フレグランスの選び方ガイド。香りという見えない美を見つめて - VOGUE JAPAN )
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