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Saturday, April 3, 2021

【聖火リレー アラカルト】 円谷選手と共に運んだ聖火 君原さん、盟友の故郷で - 47NEWS

円谷選手と共に運んだ聖火   君原さん、盟友の故郷で

円谷選手と共に運んだ聖火   君原さん、盟友の故郷で

 福島県須賀川市で27日に聖火ランナーとして走った君原健二さん(80)=北九州市八幡西区=は1964年東京五輪のマラソン代表。須賀川市は共に日本代表として戦い、銅メダルを獲得した故円谷幸吉さんの故郷だ。地元の福岡県からもランナーの打診があったが、「円谷さんと一緒に走っている気になれる」と盟友の地元を選んだ。

 円谷さんと親しくなったのは東京五輪前年の海外合宿だ。君原さんは「2人とも高校3年のインターハイは予選落ち。陸上のエリートではなく、同学年でもあり親しみがあった」と語る。

 当初、メダルを期待されていたのは君原さんの方だったが、調整不良で8位に沈む。一方の円谷さんは3位に入り、一躍国民的な英雄になった。

 しかし結果的にそれが円谷さんの人生を変えた。ゴール直前、満員の国立競技場で2位から3位へ順位を落とした円谷さん。「4年後再びメダルを取る。それが国民との約束だ」と自らを追い込んでいく姿を君原さんは覚えている。

 メキシコ五輪が行われる年が明けた68年1月、円谷さんは27歳で自殺。遺書には「もうすっかり疲れ切ってしまって走れません」とあった。「円谷さんのために」と誓ったメキシコで、君原さんは盟友が逃した銀メダルを獲得した。

 君原さんは40年近く須賀川市へ墓参りを続けている。350ミリリットルの缶ビールを半分飲んで、残りを墓にかける。東京五輪直前、互いに好記録を出したことをビールで祝った思い出にちなむ墓参りでの決まり事だ。

 「(同じ目標に)一緒に取り組んだ大切な友だった」と君原さん。89年からは円谷さんの名を冠した須賀川市のマラソン大会に参加を続けるなど同市との縁は深く「第二の故郷のよう」と語る。

 それだけに昨年、直前でリレー延期が決まり無念さがこみ上げた。「この1年は時計が止まったようだった」という。

 1年間我慢させられ臨んだ晴れ舞台ではユニホームの下の肌着に円谷さんの写真を忍ばせた。2人の関係を知る多くの市民は沿道で君原さんに大きな拍手を送った。リレー終了後、「一緒に聖火を運ぶこの日をずっと待っていた。今日は五輪に出たときと同じように感動しました」と晴れやかな表情で話した。

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