1981年に誕生し、2021年に40周年を迎える赤城乳業(埼玉県深谷市)の「ガリガリ君」。販売本数は年間4億本で、今や国民的アイスと言っても過言ではない。その成長の原動力はガリガリ君のキャラクターにある。04年からガリガリ君のマーケティングを担当し急成長させた立役者、萩原史雄さんを小口氏が直撃する。 【関連画像】1981年の発売当初のガリガリ君。当時は中学生という設定だった ●不評のキャラクターデザインを変更 小口覺(以下、小口) 今や押しも押されもせぬ定番アイスの「ガリガリ君」。登場時、小学生だった私にもインパクトのある商品でした。 萩原史雄さん(以下、萩原) 私も小学生で、友達から変なアイスがあると聞いて食べたのが最初です。 小口 小学生のときに食べたので、赤城乳業に入社しようと? 萩原 全然関係はなくて、たまたまです。就職活動は1994年で厳しい時代でした。商社からも内定をいただいていましたが、コンビニで小さな子どもがガリガリ君食べたいと言っていたのを聞いて、赤城乳業を選びました。バブル崩壊で先の見えない時代だったことも理由です。 小口 当時からガリガリ君は主力商品? 萩原 そうでもなかったです。入社したときは会社自体も小さくて売り上げ130億円ほど。会社もガリガリ君と共に成長してきました。
リニューアルとテレビCMで年間1億本に
小口 今のようにガリガリ君が人気となった契機は、ガリガリ君19歳の年に当たる2000年でしょうか。この年に、キャラクターが現在のデザインに変更され、テレビCMも始まりました。デザインを変えた理由は? 萩原 1990年代は売り上げが伸び悩んでいました。当時は営業でしたが、この顔のパッケージでは売れないだろうと思っていましたからね(笑)。特に女性からは嫌われていた。99年にアンケートを取ったんですが、「田舎臭い」「歯茎が汚い」「汗が泥臭い」と散々でした。 小口 昭和感がすごく強いキャラクターを、今の3DCGっぽいデザインにリニューアル。当初のキャラ設定は中学生だったのを小学生に若返らせ、同時に「ガーリガーリ君♪」という、今やおなじみのフレーズが入ったテレビCMをスタートさせました。 萩原 60円の商品(当時)に何をいまさらテレビCMかけているんだと驚かれました。でも流通さんに意気込みを感じてもらい、それまで弱かった西日本にも商品が並ぶようになったのは大きかったです。売り上げが一気に30%以上伸びました。 小口 その結果、2000年にガリガリ君の販売本数は年間1億本を突破します。 萩原 ようやく日本で1人当たり1本の規模に成長した。公園で子どもがガリガリ君の歌を歌っているのを聞いたときは感動しましたよ。真面目な話をすると、アイスってロングセラーしか残っていないんです。子どものときに食べたアイスを、成長してからもずっと食べ続ける傾向が強い。 小口 子どもが食べるおやつから、大人も楽しむものに変化した。 萩原 コンビニのデータを見ると、00年当時の購入者は30代が一番多かった。発売時に小学生だった団塊ジュニアがボリュームゾーンになっていて、そのまま持ち上がっています。今は少子化で、子どもと40代や50代では分母が違うので仕方がない部分もありますが。 小口 売り上げの中心はコンビニ? 萩原 赤城乳業は、コンビニにおけるアイスの売り上げで、業界トップクラスのシェアを持っています。他のメーカーがお菓子屋さんでの販売が中心だった頃、1981年当時の早い段階からからコンビニに注力してきました。
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