2013年以来の優勝を目指し、首位を争うプロ野球東北楽天。けん引役の石井一久監督、田中将大投手らは昨年亡くなった名監督野村克也さんに指導を受けた弟子たちだ。ヤクルト、東北楽天など4球団を率いた名将の教えの根幹は「人とはどうあるべきか」という人生哲学。従来の価値観が揺らぐこのご時世、かつて聞いたノムさん語録やボヤキに再び耳を傾け、人生訓に触れてみよう。
(一関支局・金野正之=元東北楽天担当)
期待している相手ほど親心を持って「かわいい子には旅をさせよ」だ。あとは基本、ひたすら見守る。そうしてマー君も立派に育った。
「エースや4番になる選手は天賦の才に左右される部分が大きい。育てようと思って育てられるものではない」。野村監督は、球界を代表する超一流になると期待された金の卵に対して「無視、称賛、非難」とは違う接し方をした。知将の格言としては残されていない、親心に満ちた指導をした。
2007年、北海道・駒大苫小牧高から田中将大が入団してきた。夏の甲子園大会で05年に優勝投手となり、06年も決勝で斎藤佑樹(日本ハム)を擁する東京・早実高と延長15回引き分け再試合に及ぶ名勝負を演じた。71歳野村監督は将来性十分の18歳田中を孫のように見守り、成長を待った。
「大器の片りんを見た」。2月1日、沖縄県久米島キャンプ初日のブルペン、野村監督は田中の投球を見てうなった。縦に大きく曲がるスライダーには「こんな変化球を投げるのはプロでもそういない」とまで。球団3年目の最下位脱出を図る中、差し込んだ希望の光。「1年目から期待できる。将来は球界のエースになる」。野村監督は田中を開幕から先発陣に入れる決意をする。
通例では高卒新人を開幕から1軍で勝負させるのは、大きなばくちだ。精神的に未熟な選手の場合、好結果でスタートすると実力を過大評価し、伸び悩みかねない。未成熟な体を傷めるリスクもある。だから「平成の怪物」と呼ばれ、1999年にいきなり最多勝に輝いた松坂大輔(西武)クラスでない限り、ほとんどの高卒新人は2軍で心身を鍛え、飛躍の機会を待つことになる。
しかし野村監督は「かわいい子には旅をさせよ」の構えだった。田中が心技体ともにある程度しっかりしていると認め、「勘違いする子ではない。今から大きく育てよう」とコーチ陣の慎重育成論を退けた。一時は「開幕戦、あるいは本拠地開幕戦こそ先発デビュー戦にふさわしい」と異例の大抜てきを検討するほど田中の将来性に賭けていた。最終的に、初先発は開幕5試合目3月29日の敵地ソフトバンク戦に決まる。
いざ当日。「思い切ってやってこい」。野村監督は田中を千尋の谷に突き落とすつもりで送り出す。しかし田中は見事にプロの洗礼を浴び、二回途中6失点でKOされた。
走者を置いた時に盗塁されやすいという技術的な欠点も露呈し、2軍育成論が再燃する。それでも降板直後にベンチで悔しさをにじませる田中を見ていた野村監督は、その後も我慢の先発起用を繰り返した。「打たれた経験を生かせるはず」と信じて。
4月18日先発4試合目の本拠地ソフトバンク戦、田中は持ち前の向上心と学習能力で技術面を改善し、変身した姿を見せる。「プロの打者にも余裕を持てた。見下せるような気持ちになれた」と闘魂むき出しで打者の内角を攻め、13三振を奪う完投勝利で雪辱を果たした。
8月3日本拠地でのソフトバンク戦、田中は先制点を許しながらも、打線の援護を得て逆転で勝利投手となった。野村監督は試合後の記者会見、初登板以来感じていた田中の持つ独特のオーラを表現する。野村語録を代表する名文句で。
「マー君、神の子、不思議な子」
07年、「神の子」が先発した28試合のうち、劣勢を覆して敗戦投手にならなかったり、逆転で勝利投手になったりする試合が実に合計11度あった。シーズンを通して先発で回った田中は球団史上初の2桁勝利となる11勝を挙げ、松坂以来の高卒1年目の新人王に輝く。
それから6年が過ぎた13年、田中は24勝無敗という神懸かった働きでチームを初の日本一に導く。「神の子」の名文句は、確かに発揮され始めた田中の神通力をいち早く表現し、ほめて伸ばそうとしたエールでもあった。
[のむら・かつや]京都府網野町出身(現京丹後市)。峰山高から1954年にテスト生で南海(現ソフトバンク)へ入団、65年に戦後初の三冠王に輝いた。73年には兼任監督としてリーグ制覇。77年途中に解任された後、ロッテ、西武で80年までプレーした。出場試合3017、通算本塁打数657は歴代2位。野球解説者を経て、90年ヤクルト監督に就任し、リーグ制覇4度、日本一3度と90年代に黄金時代を築いた。99年から阪神監督となるも3年連続最下位に沈み、沙知代夫人の不祥事もあって2001年オフに辞任。社会人シダックスの監督を経て、06年から東北楽天監督に。07年に初の最下位脱出し、09年には2位躍進で初のクライマックスシリーズ進出に導いた。監督通算1565勝1563敗76分けで、勝利数は歴代5位。20年2月11日、84歳で死去。
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